私たちはいつも劇場へ、何か未知のこと未知のものを体験しに行くわけですが、意外にも、もう、未知を知るのは日常生活でたくさんなので、これ以上未知を知りたくもない、という人がたくさんいることに衝撃を受けました。そこで今回、どうやったら、未知のことを知ることを提出しないで、自然に未知のことをお客様に受容してもらえるかをよく考えてみました。例えば落語や漫才のようにまずお客様に語りかけてみる、あるいはいきなり手品をやってみる、あるいはいきなりお客様に抱きついてみるなど。しかし結局考えは一周して、やはりドラマから離れずに目的に近づけないか、という思いに至り、自己紹介という概念を中心に置くことによって、未知を知ろうとしないのに知る、という行為を純粋にドラマの中で抽出できないだろうか、という試みをしてみようと思います。どうぞご期待ください。
山内ケンジ
作・演出: 山内ケンジ
出演:初音映莉子 / 浅井浩介 / 岡部たかし / 富田真喜 / 岩本えり / 松澤匠 / 岩谷健司
期間:2016年12月1日 (木) 〜2016年12月11日 (日)
会場:小劇場B1
芝居というのは他者同士が出会って、そこからストーリーが展開していく際に、いかに不自然ではない「場」を設けて、不自然ではない会話の展開に持っていくかが難しい。お通夜とか披露宴とかはそういう「場」としてうってつけなのでよく用いられるが、逆に陳腐になりがちだ。
今回は、小便小僧のある公園が舞台で、縁石部分がすべてベンチのようになっている。そこに待ち合わせ風の女性が座っており、そこにやはり待ち合わせ風の男性がやってくる。お互いはもちろん顔見知りではないのだが、チラチラと女性を伺っていた男性は、おもむろに「自己紹介してもいいでしょうか」と話しかける。
公園は「場」としては普通だが、いきなり「自己紹介してもいいでしょうか」と話しかけるのはかなり不自然だ。不自然なだけに掴みはOKなのだが、ここからストーリーをどう展開させるかが作家の力量となる。
さすがは山内ケンジだけあって、そこから観客を惹き付ける展開を用意している。但し、設定が不自然なので、役者の高度な演技力も要求される。その要求に応えられる役者陣も素晴らしかった。
というわけで、十分に面白かったのだが、もう少し物語的起伏が欲しかった。そこがちょっと残念。