「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」体験記(長いです)

ダイアログ・イン・ザ・ダークとは?

ダイアログ・イン・ザ・ダークは、日常生活のさまざまな環境を織り込んだまっくらな空間を、聴覚や触覚など視覚以外の感覚を使って体験する、ワークショップ形式の展覧会です。1989年ドイツのアンドレアス・ハイネッケ博士のアイディアで生まれ、その後、ヨーロッパ中心に70都市で開催、すでに100万人が体験しています。
参加者は、その中を普段どおりに行動することは、不可能です。そこで、目の不自由な方に案内してもらいます。案内の人の声に導かれながら、視覚の他の感覚に集中していくと、次第にそれらの感覚が豊かになり、それまで気がつかなかった世界と出会いはじめます。森を感じ、小川のせせらぎに耳を傾け、バーでドリンクを飲みながら、お互いの感想を交換することで、これまでとはすこしちがう、新しい関係が生まれるきっかけになります。

私がこの「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という一風変わったワークショップのことを知ったときに真っ先に頭に思い浮かんだのは、レイモンド・カーヴァーの「大聖堂/カセドラル」という短編のことだった。非常に有名な短編なので知っている人も多いと思うが、ざっとあらすじを紹介してみよう。

ある夫婦のもとに盲人が泊まりに来ることになる。その盲人は奥さんの知り合いで、旦那の方は盲人が泊まりに来るなんてうっとうしいなあと感じている。一緒に夕飯を食べてお酒を飲んで、奥さんは眠くなってしまってソファで寝てしまう。旦那とその盲人はテレビで教会だか中世だかの話をしている番組を見るともなしに見ている。旦那はふと盲人に「大聖堂というものがどういうものだかご存知ですか?」と尋ねる。盲人はテレビで説明していた事柄を述べるが、大聖堂が実際どういう形をしているのかは分からないと答える。そこで旦那は何とか大聖堂がどういった形をしているのかを言葉を用いて説明しようとするのだが、どうしても要領を得ない。すると盲人が紙と描くものを用意してくださいと言う。「あなたが大聖堂の絵を描いてください。あなたの手に私の手を添えて動きを追いますから」 旦那は言われた通りに大聖堂の絵を描いていく。書いている途中で盲人は旦那に「さあ、目を閉じて」と言う。旦那は目を閉じて描き続ける。やがて盲人は「もういいよ。終わった。目を開けてごらん」と言う。しかし、旦那はしばらく目を閉じたままだった。そして村上春樹が言うところの「はっと澄み渡る意外な一瞬」が訪れる。

私はこの「旦那」のような体験をしてみたかったのだ。
私は15:40の回に参加した。完全予約制で、土・日はすぐに満員になるようだ。1つのユニットの定員は8名、それに視覚障害者のアテンドが1名付く。受付で身分証明書を提示して本人確認をした後、時計やら携帯やらはすべてロッカーにしまうことになる。椅子に座って待っているうちにだんだん緊張感が高まってきた。そして、15:40の回の人が呼ばれ、一緒に暗闇体験をする8人が顔を合わせることになる。ここで係の女性から簡単な注意事項の説明があり、一人一人に「白杖」が渡される。白杖を持ったのは生まれて初めてである。そしてもう一段階奥に入ったところで、われわれ8人の道先案内人となるアテンドが紹介される。われわれのアテンドは「ソネ」さんという小柄な女性だった。ソネさんは自己紹介で、私のことは「ソネちゃん」と呼んでください。「ソネさん」と呼ばれると返事しないかもしれませんと言っていた。そしてここで各人が自分がなんと呼ばれたいかを発表していく。「〜さん」というのはダメっぽいので、みんな昔のあだ名なんかを使っている。ちなみに私は仕方がないから「かっちゃん」とした。メンバー構成は、小学校高学年の男の子とそのお母さん、大学生と思われるカップル、私よりも少し年上と思われる女性二人組、30歳前後と思われる女性一人、そして私である。
そしていよいよ扉を開けて暗闇の中に入って行く。真の暗闇なんて初めてである。目をつぶっても開けても全く変わらない。目の前に手のひらを持っていっても輪郭すら見えない。もう白杖とソネちゃんの声だけが頼りである。そしてわれわれはお互いにここに何があるよとか今うしろにいるのは「かっちゃん」ですよとか喋りながら進むのだ。建物の中なのだが、森があり小川が流れている。草の匂いがし、ヒグラシが鳴いている。闇の中を進むのは怖いのだが、みんなで協力すれば何とかなるもので、しばらくすると大分慣れてくる。これ以上書くとネタバレになるのでやめておくが、1つだけ印象深いエピソードを白文字で書いておく。なぞって反転させれば読めます。

進んで行くと神社で縁日をやっていて、そこの境内みたいなところでソネちゃんはみんなに輪になるように促す。そしてみんなで手を繋いで輪になる。そこでソネちゃんはあるものを取り出して両脇の人に渡し、みんなに回して行くようにと言うのだ。そしてそれが何であるのかを当ててごらんと言う。もちろんみんなに回るまで分かっても答えを言ってはいけない。私もすぐに分かったし、みんなもすぐに分かったようだ。最後に声を揃えて正解を言う「線香花火!」。ソネちゃんは今からこの線香花火に火を点けるからしゃがんでくれという。えー、ほんとに火を点けちゃうのかなと思ったら、かすかに「ジジー」という音が聞こえてくる。本当には火を点けずに何かのスイッチを入れて音を出したのだ。われわれは見えない線香花火を見つめながらじぃーっと音を聞いていた。ほどなくして、線香花火の火は落ちた。線香花火のパチパチとはぜる火が私には見えたような気がした。

バーの話はサイトにも書いてあるし、志の輔も書いていたから書いてもいいでしょう。最後にバーで飲み物を振る舞ってくれるのだ。バーにはバーテンの女性がいて、注文を聞いてくれる。カルピスやぶどうジュースなどのソフトドリンクの他にビールとワインもある。みんなが水やソフトドリンクを注文する中、私だけビールを注文した。ソフトドリンクは注いだものを手渡しているのだが、ビールだけはまず空のグラス(ちゃんと冷えている!)を私が持つ。そこへビールを注いでくれるのだ(こぼさずに!)。これには驚いた。そして暗闇で飲んだビールのなんと美味しかったことか。隣の女性から「銘柄は分かりますか?」と訊かれたが、さすがにそれは分からなかった。

終了後は目を馴らすために薄暗い部屋でお互いに感想を述べあう。私は、手で触ったりなんだりして、見えないものを必死に頭の中で視覚化しようとしていたのだが、慣れている人(という言い方には語弊があるが)でもそうなのですかとソネちゃんに質問したところで、「私もそうですよ」という答えだった。もし私が目が見えなくて外を歩くとしたら、音やら何やらの情報を必死に取り込んで、人やものにぶつからずに歩こうとするだけで頭の中がいっぱいになってへとへとになってしまうだろうと言ったら、ソネちゃんは「それは慣れですよ。わたしなんか今日の夕飯何にしようかなとか考えながら歩いていますよ」とも教えてくれた。

その後アンケート用紙にもろもろを記入して全行程終了である。ロッカーから荷物を出して梅窓院祖師堂ホールをあとにした。

私は「大聖堂」での旦那のような体験をすることができたのか? それはなんとも言えない。ただ、確かに真の暗闇の中にいたのだが、あとから思い返すと暗闇のなかにいたような気がしないのだ。本をたくさん読んでいるので、頭の中で視覚化することに慣れているのかもしれない。但し、真っ暗闇で何も見えないということがどういうことなのかは体験できた。

この「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というワークショップで何を感じるかは人によって様々だろう。私は「他者との差異を想像してみる」ということをこのワークショップから学んだ。このワークショップでもっとも端的に体験できるのは視覚障害者の日常である。普段われわれは街中で白杖を持った人を見かけることがある。だけど全く見えない中で生活するということを考えたこともないし、考えても分からない。それを体験できる。つまり視覚障害者の立場になれたということだ。要するにそれと同じことは他にも色々ある。私は男だから女性の気持ちは分からない(女性になれるというワークショップは残念ながら存在しない)。だけど想像することはできる。私は日本人だから、日本に住む韓国や朝鮮の人たちの気持ちは分からない。だけど想像してみようとすることはできる。もっと卑近な例で言えば、車を運転している人は歩行者の気持ちが途端に分からなくなる。
私は、なるべくなら他者との立場の違いを理解し、その他者が何を考えているのかを常に想像しながら、その他者と日々接していければいいなと思う。そして日々接するわけではない立場の違う他者のことにも時々思いを馳せてみたいと思う(難しいけど)。

ダイアログ・イン・ザ・ダーク」というワークショップは非常にユニークな試みだ。体験してみる価値はあると思うよ。