入門 山頭火(町田康)★★★★☆ 5/14読了

ただの酒飲みか、偉大なる俳人か 流浪する民か、真実の僧か 作家・町田康が自由律の俳人種田山頭火に向き合う。 その生涯と俳句をめぐる文芸エッセー。 これまでの評伝と一線を画す。

種田山頭火については教科書レベルの知識しかなかったが、興味はあったので、私にはうってつけの本だった。行乞していたのは何となく知っていたが、行乞以前がどういう人生だったのか、また行乞後にどうなったのかも今回知ることができた。行乞しながらも、句友を頼って酒を飲んでしまうこともしばしばだったようで、その辺は人間味があっていい。ただ、やはり色々と突き詰めていかないと良い句は詠めないと思っていたようで、苦悩も相当だったようだ。この本を読んでから山頭火の句を読むと、奥行きが全然違ってくる。

「ほろほろ酔うて木の葉ふる」に関連して著者が書いていた一節が印象に残ったので、抜書きしておく。

もう一度言うと、このとき降る木の葉はその滅びの予兆としての木の葉である。となるとそれは人間にとっては深甚な恐怖で、そんなものに堪えられる人はいない。
思うに山頭火にとっての俳句とは、それを純粋な恐怖として抽出、自分の外に置いてこれを眺めることによっとその恐怖から免れる、というものであった。
これすなわち演劇性である。それ、というのは自分の身の上に今この瞬間起きている抜き差しならない事態、を当事者としてでなく、劇として眺める、そしてそれを水のように純粋な言葉に置き換えることによって、それを見ている自分、肉身を離れた自分を創りだし、肉体の痛苦、精神の痛苦から免れようとする。現実から離脱して「一切を放下し尽くす」みたいな境地に一瞬、至る。或いは、至った気になる。これが山頭火の俳句ではなかったか。