『象の消滅』(村上春樹)★★★★☆ 5/11読了

ありそうでなかった村上春樹の短篇選集である。逆輸入だからこその実現だろう。この短篇選集には初期の短篇から17の作品が選ばれている。村上春樹ファンであれば、その選択が非常に気になるところだ。自分のお気に入りの短篇は入っているのだろうかと。

村上春樹は『村上春樹全作品 〔2〕−1』の解題でこう書いている。

『TVピープル』と『眠り』は僕がこれまで書いた短編小説の中でも、いちばん気に入っているもののふたつだ。もし僕が自分にとってのベスト・ストーリーズを集めた一冊を編むとしたら、この二作品はまず間違いなくその中に収録されるはずだ。

そして、私はこの作品へのbk1での書評でこう書いた。

「自分にとってのベスト・ストーリーズ」というところで、ピクンと反応してしまった。村上春樹の短編小説のベスト・ストーリーズというのは今まで考えたことがなかった。『カーヴァーズ・ダズン』の顰みに倣えば、さしずめ『ハルキズ・ダズン』ということになるのだろうか。私なら、「中国行きのスロウボート」、「午後の最後の芝生」、「パン屋再襲撃」なんかがまず入ってくるだろう。

本作『象の消滅』には上記の5作品がすべて収録されている。まずは納得のセレクションと言っていいだろう(偉そうだな俺も)。それ以外の作品もほぼ妥当な選択となっている。ただ、個人的には「トニー滝谷」が入っていないのが残念だった。なぜ「蛍」が入っていないかと思う人もいるだろう。

すべて読んだことのある作品だが、通して読んでみると結構暗い話が多い(但し、読後に気持ちが暗くなるわけではない)。そしてメタファーに充ち満ちていることに改めて気づく。「納屋を焼く」の「納屋」とは?「緑色の獣」の「獣」とは?「午後の最後の芝生」の「芝生」とは?「象の消滅」の「象」とは? これらが何を意味しているのかを考え出すと結構深みにはまる。別に考えずに読んでもいいんだけど。

収録作品をすべて読んだことのある人にとっては「レーダーホーゼン」がお楽しみということになる。この作品はアメリカの雑誌に掲載されるときに翻訳者が雑誌の意向でオリジナルテキストに手を入れて、短くして訳した。その短縮版の英文をあらためて村上春樹が日本語に翻訳し直したのだ。これは興味深い。
そこで、オリジナルと比べてみた。結構大胆にカットされているし、構成も一部変更されている。そして一番の違いは「時制」である。オリジナルが過去形なのに対し、短縮版は現在形になっているのだ。英語にする際に翻訳者が現在形にしたのだろう。
例えばこんな具合だ。

(オリジナル)その雨の日曜日の午後に彼女が僕の家を訪ねてきたとき、妻は買い物に外出していた。彼女は約束の時間より二時間も早くやってきたのだ。
(短縮版)日曜日の雨の午後だ。彼女は予定より二時間早くうちにやってくる。妻は買い物に出ている。

簡潔でかつ現在形になっている。ちなみにこの現在形の書き方は『アフターダーク』でも用いられている。村上春樹自身も「しかし結果的にはこのアルフレッド短縮版は、作品としてなかなか悪くなかった」と書いているとおり、確かに短縮版は悪くない。むしろ短縮版の方がいいかもしれない。

村上春樹の短篇をあまり読んだことのない人にとっては、絶好の本と言っていい。そして、ほとんど読んでいるという人にも是非このセレクションを味わってみて欲しい。

象の消滅
象の消滅
posted with 簡単リンクくん at 2005. 5.16
村上 春樹 / 村上 春樹〔著〕 / 村上 春樹〔著〕 / 村上 春樹〔著〕
新潮社 (2005.3)
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