女たちよ(伊丹十三)★★★☆☆ 10/3読了

日常の振る舞いにこそ、その人となりは現れる。スパゲッティの召し上がり方、アルコールの嗜み方、サラダの本格的な作り方、クルマの正しい運転法、セーターの着こなし方、強風下でのマッチの点け方、そして「力強く、素早く」の恋愛術まで。体験的エピソードで描かれる実用的な人生論風エッセイ。真っ当な大人になるにはどうしたらいいのか?そんな疑問を持つ「男たち」へ。

注目すべきはこの本が昭和43年に出たということだ。今でこそ当たり前のようなことがいくつか書かれているが、それが昭和43年だと思えばいかに時代の先を行っていたのかが分かる。「ちょっとそれはどうなの」と思うような話もあるけど、なるほどと思わせる話やニヤニヤしてしまう話も多い。
「そうなんだよな」と膝を打ちたくなったのが「無駄なことです」という話。ちょっと引用する。

お料理学校というのは、私にはどうも納得のいかない存在である。料理をする場合、一番大切なのは舌である。味覚である。味覚というものは育ちとたいへんに関係が深い。必ずしも美食ということでなく、漬物でも味噌汁でもいい。味の深み、というものを舌で知っていることが先決問題である。
(中略)
そもそも、味覚の優れた人なら料理学校なんぞへはゆきはしないだろう。作り方を本で読んだり人に聞くだけで、そうとううまいものを作り上げてしまう。
だから料理学校へかよっている人は、よくよく味覚に自信のない人たちだろうと思う。こういう人が料理を習うのはまったく無駄なことです。料理を習う前に、まず、さよう五年間、毎日三度三度おいしいものを食べてもらうよりほかに方法があるまい。

料理学校へ通っている人がこれを読んだら、相当カチンとくるだろう。でも料理ってやっぱり舌なんだよな。美味しいものを美味しいと思える味覚がないと、どんなに調理技術を学んでも、美味しい料理は作れないはずだ。それは真理だと思う。

女たちよ! (新潮文庫)

女たちよ! (新潮文庫)