主人公の健(たける)は文楽の太夫だ。その健が師匠の銀大夫から三味線の兎一郎(といちろう)と組んでみろと言われるところから物語は始まる。文楽は、詞章を語る太夫、三味線、人形の三位一体で成り立っている。登場人物は他に、健の兄弟子である幸太夫、銀大夫の相三味線である亀治、健が文楽指導に行っている小学校のミラちゃん、そしてミラちゃんの母親の真智さん、など。
私はある程度文楽に関する知識があるのですんなり話に入って行けたが、そうでない人でも楽しめるようになっている。文楽に関するしきたりや、演目の解説などはさりげなく物語に組み込まれているのだ。そんな文楽のしきたりの中で私が一番好きなのがこれだ。
しっかりと紐を締め、隙なく着付けを終えると、銀大夫は楽屋に正座した。畳に手をつき、銀大夫は出番前の挨拶をする。もちろん、師匠である銀大夫が健に向かって頭を下げるのなど、このときだけだ。
「おねがいします」
「ご苦労さまです」
と、健も両手をついて丁寧に返した。舞台で自分の身になにかあったら、あとを頼む、という意味の挨拶だ。半ば形骸化した慣習だが、銀大夫はいつも、「今日が最期」という真剣さで挨拶する。芸にかける思いの深さと激しさが伝わってくるから、健は扇子で何度はたかれようとも、銀大夫についていこうと決めている。
「実力はあるが変人」である兎一郎と組まされることになった健の苦悩から始まり、芸への探求心、そして恋愛と、魅力的な脇役たちに彩られて物語は快調に進んでゆく。「女殺油地獄」や「仮名手本忠臣蔵」などの有名な演目の筋を紹介しながら、健の恋愛模様をそこに重ね合わせてゆくところも、ベタとは言えなかなか読ませる。
最後の方は文楽なんだけど何だかスポ根のようになってきて、健と兎一郎に『風が強く吹いている』の灰ニと走(かける)がオーバーラップしてくるかのようだった。
文楽を知らなくても楽しめるとは思うが、事前に『あやつられ文楽鑑賞』(三浦しをん)を読んでおくと、より楽しめること請け合いだ。読後感も爽やかだったし、読んでいてとても楽しかった。
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