9時半までに集合で9時45分開始だが、珍しく早めに行って門のところで写真を撮っていると、中から業者のカメラマンも出てきて、そのカメラマンにも撮ってもらった。業者カメラマンには門のところでの家族写真、証書を受け取る子どもの写真、全体集合写真の3枚を撮ってもらうことになっている。
教室に入ってからも子供たちの写真を撮りまくり、いよいよホールへ。教壇の前に花道が作られており、その花道の両側に子供たちと親一名(みんな母親だった)が座るようになっている。後方に在園児(にじ組とかぜ組)が座り、更にその後ろに残りの家族(要するに撮影係)が立つようになっている。初めは卒業証書授与。教壇とは反対側の、花道のスタート地点に小さな台が設置されており、名前を呼ばれた子どもはそこへ行き、親一名もそこへ行って向かい合う。そして子どもが大きくなったら何になりたいかを親に告げる。それから子どもは花道を通って教壇へ行き、そこで園長先生から卒業証書をもらい、また花道を戻り、台に乗って証書を親に渡すということになっている。生年月日順に名前を呼ばれてゆき、Yukaは18番目。将来はケーキ屋さんになりたいと告げていた。
その後、卒園児の歌や在園児の歌があり、最後は卒園児が在園児たち一人一人と握手しながら退場。それから、全体集合写真を撮影。クラスに戻ってからはあちこちでそれぞれの写真撮影大会。何と今日、高熱で1人来られなかった子がいたのだ。親だけ来ていたけどかわいそうだったな。
12時15分からは近所の「味庵」で謝恩会だが、これには妻とYukaが参加して、私は会社へ行った。謝恩会のあとには2次会のカラオケもあったようで、妻とYukaが帰ってきたのは7時ごろだった。
今日で4年間の保育園生活が終わった。最初の2年間は隣の駅にあるS保育園だった。最初の半年は妻が短縮勤務だったので、私が送り迎えに参加したのはその後の3年半ということになる。S保育園はかなりきつい坂の上にあり、まだ小さいYukaにはよく抱っこをせがまれた。腕力がなくて傘を差せないので、雨の日はいつもカッパを着て行った。あんまりひどい降りのときはタクシーを呼んでタクシーで通ったなあ。S保育園時代は妻もそれほど仕事が忙しくなかったので、迎えに行くのは半分ずつ交代で行けた。ようやく転園希望が通り3年目からは家から近いM保育園へ。この頃から妻の仕事が忙しくなり、迎えに行くのはほとんどが私だった。朝送って行くのは最初から毎日私なので、ほとんど毎日送り迎えしていたことになる。妻の帰りがいつも遅かったので、買い物したり、ご飯作ったり、風呂に入れたりするのも私の役目だった(洗濯だけは妻がしてくれた)。この2年間は正直きつかった。妻はいつも疲れてピリピリしていたし、「疲れた」「お腹減った」「眠い」がその頃の妻の口癖だった。Yukaが成長して送り迎えが楽になったのがせめてもの救いだった。1月末で妻が会社を辞めてからは、大分家庭内も穏やかになったw。Yukaの送り迎えをしなくてもいい日をずっと心待ちにしていたけれども、明日からはYukaと一緒に手をつないで出掛けないんだなと思うとなんだかちょっと寂しいね。