飯田龍太鑑賞ノート(友岡子郷)★★★★★ 4/11読了

新聞でこの本のことを知り、図書館にリクエストしたところ、その数日後に飯田龍太が亡くなってしまった。ようやく順番が回ってきて読み始めてすぐに「これは買った方がいい」と思ったのだが、既にbk1でもAmazonでも在庫切れだった(現時点でも在庫切れ)。

自分の今後のために気に入った句を抜いておく(カッコ内は句集名)。

春の鳶寄りわかれては高みつつ(百戸の谿)
紺絣春月重く出でしかな(百戸の谿)
大寒の一戸もかくれなき故郷(童眸)
月の道子の言葉掌に置くごとし(童眸)
桃開く憶ひ出は温めて後(童眸)
桔梗一輪馬の匂ひの風動く(童眸)
手が見えて父が落葉の山歩く(麓の人)
亡き父の秋夜濡れたる机拭く(麓の人)
ゆく夏の幾山越えて夕日去る(麓の人)
どの子にも涼しく風の吹く日かな(忘音)
熱き湯に水さす春の夕餉どき(忘音)
一月の川一月の谷の中(春の道)
山の菊夕日産着のぬくみほど(春の道)
かたつむり甲斐も信濃も雨のなか(山の木)
あるときはおたまじやくしが雲の中(山の木)
白梅のあと紅梅の深空あり(山の木)
鳥たかく和して越えゆく大菩薩(山の木)
降る雪を見てまた戻る保育室(涼夜)
山々と共に暮れゆく木の実かな(涼夜)
良夜かな赤子の寝息麩のごとく(今昔)
流れつつ春をたのしむ水馬(山の影)
八方に音捨ててゐる冬の瀧(山の影)
つぎつぎに風が木を出て菊日和(遲速)
遠くまで海揺れてゐる大暑かな(公表された最後の句)

やはり、飯田龍太が生まれ育った山梨県境川村の風土を詠んだ句に良句が多い。特に「春の鳶寄りわかれては高みつつ」と「かたつむり甲斐も信濃も雨のなか」が好きだ。
著者の友岡子郷という人のことは知らなかった。昭和43年に「雲母」に移り、平成4年の同誌終刊まで飯田龍太に師事した人らしい。あとがきでこう書いている。

ただ、私はこの鑑賞文を書くに際して、だれかれの鑑賞文の例を引いて潤色しようなどとはいっさい考えなかった。龍太作品にひとり直接に対面して、その作品自体が私の心に反響するものを率直に書きとめようとした。その表現に即し、その奥に秘められた精神の相を見極めようと思った。安易な美辞を弄したくなかった。

「良夜かな赤子の寝息麩のごとく」に対する鑑賞文には特に唸った。

それはそれとして、この句はまことに巧妙に仕組まれている。もちろん「赤子の寝息麩のごとく」の比喩も卓抜だし、それと「良夜」の配合もこよなくいい。が、最も私に巧妙だと思わせる点は、上五の「良夜かな」でいったん切れているように見えて、「赤子の寝息麩のごとく」が円のように回帰して、また「良夜かな」に結びつく感じがする点である。
つまり、「良夜かな」と「赤子の寝息麩のごとく」とは、まるで一つの円環のように結び合っている。終止することがない。そのまどかな句の仕組みが、「赤子の寝息」の安らかな反復そのものを思わせるのである。

本書は実に読み応えがあって、正直一気に通読するのはしんどかった。図書館で借りているから仕方ないのだが、そもそも一気に通読するような本ではなくて、折々に手にしては少しずつ読み進める本だろう。早く重版されることを切に望む。

飯田龍太鑑賞ノート
飯田龍太鑑賞ノート友岡 子郷

角川書店 2006-10-30
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