八日目の蝉(角田光代)★★★★☆ 5/5読了

対岸の彼女』を読んだ時に、もうしばらく角田光代の本を読むのはよそうと思った。どの本を読んでも内容が似たり寄ったりだからだ。直木賞受賞後、次から次へと新作が発表されたが、触手が動かされることなく2年が過ぎた。そして本作の「不倫相手の夫婦の赤ちゃんを誘拐して逃亡する話」というあらすじを知って、ようやく読む気が起きた。


あらすじを知った時に思い出したのは桐野夏生だ。ちょうど今『メタボラ』も刊行されているが、どちらも新聞小説で、どちらも名前を変えて逃げながら転々とする話である。海が近い土地が主舞台になっているのも似ている。もっとも『メタボラ』の方は主人公が記憶喪失であるという点が違っているけれども。


「逃亡劇」というのは新聞小説にはうってつけだっただろう。単行本で読んでも、主人公の野々宮希和子が薫と名づけた子供とともに首尾よく逃げおおせることが出来るのかハラハラした。そして、子を持つ親としては読んでいて胸が苦しくて苦しくて仕方なかった。それは子供を誘拐されてしまった親の気持ちになったからではなく、希和子の「どうか一日でも長く薫と一緒にいさせて」という祈りにも似た願いに胸が苦しくなったのだ。


ラストで希和子が逃亡中の小さな出来事を思い返すシーンがある。その時に、希和子と薫との日々が本の中のエピソードなのにまるで自分の記憶の断片のように頭に焼き付いていることに気付いて愕然とした。そしてそのエピソードの1つ1つを思い出していくと涙がこぼれそうになった。


私は『対岸の彼女』を読んだ時に、今後は「自分の体験とは遠く離れた、まったくの作り話としての小説を書けるようになって欲しい」と願った。角田光代はそれを見事に具現して見せてくれた。しかし、この本は桐野夏生の書くようなサスペンスではない。角田光代が主戦場とする「家族」の話である。逃亡先である、名古屋でも奈良でも小豆島でもかたちを変えて家族とは何なのかを問い掛けてくる。


どうしようもなく角田光代的でありながら、『対岸の彼女』からは遥かに進化した作品がここにはある。


八日目の蝉
八日目の蝉
posted with 簡単リンクくん at 2007. 5. 5
角田 光代著
中央公論新社 (2007.3)
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