今回は音楽を題材にした長めのエッセイであるが、何を対象にして書いても相変わらず文章が上手いなというのが一読しての感想だ。
取り上げられているのは、シダー・ウォルトン、スタン・ゲッツ、シューベルトのピアノ・ソナタ、ブルース・スプリングスティーン、ビーチ・ボーイズ、ルドルフ・ゼルキンとアルトゥール・ルービンシュタイン、スガシカオ、プーランクの音楽、ウィントン・マルサリス、ウディー・ガスリーと、かなりマニアックな内容になっている。
私にとっては半分以上が知らない人なのだが、伝記を読んだ村上春樹がそれを上手に噛み砕いてダイジェスト版として紹介してくれているので、村上春樹がその人たちの音楽をどのように愛好しているのかということと共に、そのミュージシャンたちの半生を知ることもできて一石二鳥である。
ブルース・スプリングスティーンの章では印象深い一節があった。
ブルースとしては前作『ネブラスカ』のあまりにも荒ぶれた個人性の反動として、いくぶんリスナー・フレンドリーなアルバムを出したいという思いがあったのだろうが(当然な思いだ)、結果的にいくぶん針が右に振れすぎたところがある。まさかここまで売れまくり、ここまで社会現象化するとは、ブルースもランドウも予期しなかったのだろう。そしてその予期せぬぶれはブルース・スプリングスティーンの人生に、少なくともしばらくのあいだ、陰鬱な影を落とすことになった。
これは内容を誤解されたまま売れまくった「ボーン・イン・ザ・USA」について書かれたものだが、これを読んで何か思い出さないだろうか。そう、『ノルウェイの森』である。リアリズム小説を書きたいという思いのもとに書かれた『ノルウェイの森』も著者の予想に反して売れまくり、社会現象にまでなり、しばらくのあいだ村上春樹に陰鬱な影を落とすことになったのだ。そんなことを考えながら読んでいくと、最後の一節が胸に沁みる。
というわけで、僕はブルース・スプリングスティーンという同年齢のロックンロール・シンガーに対して、あつかましいとは思うものの、つい密かな連帯感を抱いてしまうことになるのだ。
やはり村上春樹の長めのエッセイは読み応えがある。長めのエッセイといえば、『やがて哀しき外国語』もそうだ。そしてその中に収録されている「誰がジャズを殺したか」はかなり本書との関連も深く、特にウィントン・マルサリスの章の基にもなっている。合わせて読んでみることをお勧めする。余談だが、この「誰がジャズを殺したか」の後日附記が『東京奇譚集』の「偶然の旅人」の冒頭にも繋がっているのだ。
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