新訳ベケット戯曲全集1 ゴドーを待ちながら/エンドゲーム(サミュエル・ベケット)★★★☆☆ 4/25読了

わかりやすくて明快な21世紀のベケット!
前代未聞の、笑える「沈黙劇」。
田舎道。木が一本。夕暮れどき。ウラジミール(ジジ)とエストラゴン(ゴゴ)という二人組のホームレスが、救済者ゴドーを待ちながら、ひまつぶしに興じている───『ゴドーを待ちながら』。
なにもかも失われていく「最後の物たち」の世界で、盲目のハムが、召使クロヴに暴君として振る舞っている───『エンドゲーム』。

大学1年の時、取るべき英語の授業は2コマあった。諸先輩作成の科目ガイドでは、その2コマの先生は「動のタイゾー、静の榊原」とあった。その榊原先生の授業の題材が『ゴドー』だったのだ。1人1ページくらいの割り当てで、順番に訳を発表していく授業だった。ラッキーの長台詞に当たったら大変だと、図書館でベケット全集を見て、ラッキーの長台詞をとりあえず引き写した記憶がある。それ以来、約30年振りの『ゴドー』である。
「行こう」「ダメだ」「なんで」「ゴドーを待つ」「ああ」というセリフが500回くらい繰り返されていた気がしたが、読んでみるとそうでもなかった。内容も含めて、とにかく難解だったイメージだが、新訳を読んでみると、大分理解しやすくなっている。ウラジミールとエストラゴンは、実際にはかなりの歳のはずだが、新訳ではあえて、老人っぽい台詞にはしなかったとある。そのせいなのか、読んでいて何故か「おそ松さん」が頭に浮かんできた。「おそ松さん」の不条理感には『ゴドー』に近いものを感じるのだ。ウラジミールとエストラゴンが何松と何松に当たるかは微妙だが、そうなるとポゾーがイヤミで、ラッキーがデカパンで、少年がハタ坊だろうか。
大学の授業では最後まで行ったとは思えないから、今回初めて最後まで読んだことになる。「行こう」と言って、2人とも動かずに幕となるラストは実に示唆に富んでいる。『ゴドー』が何者なのかを筆頭に解釈が無限にある戯曲である。だから、今でも上演され続けているのだろう。いま、英語関係の仕事に就いているのも、芝居を観るのが好きになったのも、大学で『ゴドー』に出会った影響が少なからずある気がする。

新訳ベケット戯曲全集1 ゴドーを待ちながら/エンドゲーム
新訳ベケット戯曲全集1 ゴドーを待ちながら/エンドゲームサミュエル・ベケット 岡室 美奈子

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