チェルフィッチュ新作『地面と床』公開リハーサル

KAATでは「つくる劇場」として国内外の劇場・カンパニーと共に同時代性のある作品の創造・紹介を行っています。中でも、国内外で高く評価される演劇カンパニー・チェルフィッチュとは、オープニングシリーズ以来、共同制作を通じ演劇の新たな地平を切り開くことを目指しています。

『ゾウガメのソニックライフ』、『現在地』に続く3作目は、新作『地面と床』。今作は実験的舞台芸術を紹介するクンステン・フェスティバル・デザール(ブリュッセル/ベルギー)を中心に、ジュネーブやパリ、アテネなど欧州国内含め計9都市のフェスティバルや劇場との共同製作作品となります。


KAATでのクリエーション後、5月にブリュッセルでプレミアを迎え、世界ツアーをへて12月にKAATで上演を予定しています。


KAATではその新作のリハーサルを公開。プレミアに先駆けて「つくる現場」をオープンにすることで、劇場で舞台が創りだされていくプロセスを共に過ごす試みです。そして、観客の皆さんと共有する時間やその反応を作品へフィードバックし、上演へとつなげていきます。また本作では、音楽とパフォーマンスの新しい関係を探るべくサンガツと実験的な試みを続けています。公開リハーサルでは特別に生演奏でその模様を公開します。


前に歩みつづけるチェルフィッチュ
そのクリエーションの現場に、ぜひお立会いください。


◎作・演出/岡田利規
◎出演:山縣太一、矢沢誠、佐々木幸子、安藤真理、青柳いづみ
◎美術:二村周作
◎音楽:サンガツ
◎ドラマトゥルグ:セバスチャン・ブロイ
◎参加費/無料
◎定員/200名
◎会場/KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ

というわけで、超寒いなかをKAATまで行って来ました。『わたしたちは無傷な別人であるのか?』の公開リハーサル以来の二度目のリハーサル見学となる。前回は急な坂スタジオでのこじんまりとしたものだったが、今回はKAATの大スタジオを使っての大掛かりなものだった。
受付で当選メールを見せて、整理番号券をもらい、その順番での入場となる。一番見やすい席あたりは関係者席になっていた。最初はその後ろから観るものも面白いかなと思ったのだが、やはり前に関係者たちがいると気が散りそうだったので、最前列に座った。
舞台装置はかなりシンプル。板張りの床があって、その床の上手側に灯りが埋め込まれており、板床の更に上手側に大きな鏡がある。舞台の中央には字幕用のボード(畳鰯のような素材)もある。そして、下手後方にドラムセットが控えている。もちろん、本番の舞台装置はまた違うんだろうけど。


最初に岡田利規が挨拶して、第1部のリハーサルがスタート。俳優が演技している後ろでサンガツが演奏している。ただ、演奏といっても一般的な曲を演奏しているわけではなく、効果音みたいな音を鳴らしている。時々止めて、演技と演奏をチェック。40分くらいやったところで第1部は終了。
続けて、第2部のトークに移る。メンバー岡田利規と今回のドラマトゥルグのセバスチャン・ブロイとサンガツから2人。話は多岐にわたったが、面白かったのがサンガツの音楽の作り方。きっちり楽譜を作るのでもなく、完全なる即興でもなく、図形の楽譜を使って、メンバーそれぞれのイメージを合わせていくらしい。サンガツのサイトにその図形楽譜がアップされている(→コチラ)。
トークの後に休憩を挟んで、第3部のリハーサルへ。佐々木幸子の速い長台詞に字幕が追いつかないというシーン。海外公演では翻訳の字幕がボードに映し出されるのだが、今回は日本なので、便宜的に日本語の字幕が使用された。佐々木幸子がバーっと喋っては、ふくれっ面で字幕が追いつくのを待つ。そのふくれっ面が可愛いし、このシーンは海外で受けるだろうな。ただ、日本での公演の時はどうするんだろう。字幕を待たなくても観客は佐々木幸子が何を言っているか分かるからな。
佐々木幸子がそのシーンの最後で「ギャー」っと叫んで次のシーンに移るのだが、その時の音楽をどうするかを結構繰り返し試していた。最初は「ギャー」の後は無音で、その後ピアノっぽい音楽。次は無音がちょっと長すぎるということで、無音部分を短くし、ピアノっぽい音楽にノイズを加えたりした。その次は、ピアノっぽい音楽がちょっとセンチメンタル過ぎるということで、前のシーンから音楽を継続させたらどうなるかを試した。そこまでやって、終了時間の17時になったのだが、なんとなく収まりがつかなかったので、もう一回だけ試そうということになった(山縣太一はもう終わろうというサインを出していたが・・)。そのテイクでは、一旦無音にした後、シンバルを鎖でこするなど、ちょっと工夫した音楽が展開された。ひと通りやったところで、時間切れで終了。


今回、演劇と音楽の融合ということだが、音楽を背景にするのではなく、ルームメイトのように対等な関係を築きたいということだった。ただ、そうすると、今回もあったのだが、音楽の音が大きくなり、セリフが聴きづらくなるときがある。この辺をどうクリアするのか。それとも多少セリフが聴こえなくても構わないということなのか。質疑応答はなかったので、その辺は分からなかった。
演劇と音楽の融合は実に興味深いのだが、難しさも感じた。結局正解がないからね。ただ、俳句の「付く/付かない」みたいなことがここにもありそうだ。シーンにあまりにも合いすぎた音楽だと興ざめだし、離れすぎても訳が分からない。その辺のさじ加減が腕の見せ所だろうな。12月のKAATでの本公演では結局どういうふうにしたのかを楽しみにしたいね。