村上春樹の「あとがき」について

ティファニーで朝食を』のコメント欄で、ジェイコブさんから「村上春樹の自作作品の「あとがき」ではどれがベストか?」というご質問を頂いた。
やはりコメントを頂いたmiyabi-taleさんの言う通り、村上春樹の「あとがき」は翻訳作品においてその巧さを発揮することが多い。小説に対しては「あとがき」は通常付けないし(全集の「解題」は別として)、エッセイの場合は「あとがき」と本編の境目が曖昧になることが多い。となると、実は困ってしまうのだが、何事にも例外はある。
「あとがき」ではなくて「はじめに」に目を転じて見るといいのがある。例えば『象の消滅』の「はじめに」の文章。この短篇集は言わば「逆輸入版」なので、例外的に解説を付けている。この中で、アメリカの出版業界のことやニューヨーカーのことに触れている。なかでもこの一節からは村上春樹の喜びが伝わってくる。

93年の初めに「ニューヨーカー」から、うちと優先契約を結んでくれないかという申し出があった。つまり作品が書き上がったら、まず最初に「ニューヨーカー」に持っていかなくてはならない。それが首尾よく採用になったら、そのまま「ニューヨーカー」に掲載される。もし不幸にして採用にならなかったら、そのときはどこの雑誌に持っていってもかまわない、というきわめてシンプルな契約である。「ニューヨーカー」の稿料は、ほかのアメリカ雑誌に比べてもかなり高額だから、僕としては「ニューヨーカー」を優先することに異論はまったくないのだが、しかし ― 縦横十センチくらいの大きな太い活字でしかしと書きたいのだが ― 大事なのは稿料ではない。「ニューヨーカー」と優先契約を結ぶというのは、すなわち「ニューヨーカー作家」の列に加えられるということなのだ。それが何よりも何よりも重要な意味を持つことである。もちろん僕は即座にその契約にサインした。

この短篇集は実にいいセレクションになっており、大好きな一冊である。


もう一つ素晴らしい「はじめに」がある。何を隠そうこれが私にとってのベストである(「あとがき」ではないけど、まあいいでしょう)。それは『アンダーグラウンド』に付与された「はじめに」である。以前どこかで書いた気もするが、この「はじめに」は掛け値なしに素晴らしい。この本には詳細な「あとがき」も付いているのだが、「あとがき」よりも「はじめに」の方がいい。ご承知の通り、この本は地下鉄サリン事件の被害者の方たちに行なったインタビュー集である。なぜ村上春樹サリン事件に興味を持ちこの本を書くに至ったか、そしてインタビューする相手をどのように見つけたのか、その相手の方たちに対してどのように接したのか、そのような事柄が比較的淡々と書かれている。しかし、取材の方法論を過不足なく説明している根底にはオウムに対する静かな怒りと取材を受けてくれた人たちへの感謝の念が流れていることがよく分かる。これほど強い思いの込められた「はじめに」(ないし「あとがき」)はないのではないだろうか。また、そういう「思い」の部分を別にしてもなかなかこういう文章は書けるものではない。
巷間言われているように、この本の上梓は村上春樹にとって大きなターニングポイントになっている。そのターニングポイントのきっかけになっているという意味でもこの「はじめに」の価値は高いのではないだろうか。
今回久し振りに読み返したけどやっぱりいいね。だけど、この本の「はじめに」がいいなんて、いちいち言及している人は他にいないだろうな。

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