屋上の人屋上の鳥(花山周子)★★★☆☆ 12/30読了

きっかけは朝日の夕刊の記事だった。

美大で油絵を専攻した。画家志望だが、たまに装丁を請け負うくらいで名乗るにふさわしいほど、その方面の仕事はこない。歌人の肩書が先行した。
(中略)
短歌を作り始めた19歳から現在に至る860首を収録。読後のシュールな印象。視覚を刺激する不思議な技だが歌歴は8年。長くない。
(中略)
歌集は自装。紺碧の海か空を思わせる深い青に白い鳥をあしらった表紙画が美しい。

まったく知らない歌人だった。まあ、普段から短歌を読んでも、詠んでもいないので知らなくて当たり前だ。お母さんが花山多佳子という歌人だそうなので、きっと素地はあったのだろう。
歌集など買ったこともない私がなぜかこの歌集には引っかかった。ところが買おうと思っても普通に流通していないし、出版元のサイトに行っても売り切れてしまったのか扱っていないっぽい。ネット上で色々と探した揚げ句、「日本の古本屋」というサイトで検索したら一件ヒットがあったので、ようやく買えた。


届いた本はカバーも帯もないが、直接描かれた表紙画が確かに素晴らしい。860首もあるので読み終えるまでには少々時間がかかったが、通して読まずに、折りに触れて読んだからというのもある。長歌が1つ入っているのも珍しい。ちょっと多いが、気になった歌を引いてみる。

テーブルに刻まれている唐草(からくさ)を指でなぞりぬ少女のごとく
眉の毛を一本一本抜きながら静かに死んだうさぎを思う
葉に落ちる雨の雫のごときかな人の返事をゆっくりと待つ
階段の割れ目の影に今しがた苔の緑の濃く光りたり
月だけが位置を持つ空明け出してしだいに月を呑みこんでゆく
鬼灯(ほおずき)の実のほぐれゆく速度にか秋の日暮れの深まりてゆく
君の声も混じっているように思われて春の来るたび耳を澄ませる
美大生の共通語のひとつなる「制作中」と言いて断る
雪の夜(よる)の小学校の校門にしばらく立って家に帰り来(く)
美術館を巡り巡って落ちゆけるわが内臓は深海にある
少年のように雪球(ゆきだま)蹴散らしながら君の背後を歩いてみたし
この空の青の青さにやってきた屋上の人屋上の鳥
風吹きて関東平野の夕暮れに山脈一つ出現したり
お布団にどっしりと沈む心持ち夏の大気はわれを包みて
晴天の空より一本の糸垂れて引けば墜ちてくるものもあるだろう
午後のバス暖房弱く窓際に冬の日差しを睫(まつげ)にためる
夏の夜(よ)の救急車の音を聞きながら眠りの中に地図できてゆく
台風の明けてプラットフォームには彫刻された君の立つなり
夕立はそのまま夜の雨となり切れない電話のようなる時間
温泉が好きになったと言いだしてそれから肥えてゆきにけるかも
ストーヴの火あおき辺りの心なり春浅き日に春をおもうは
予想された寂しさである友達がみな絵を描かなくなってゆくこと
君のことを考えながら加茂川の土手に寝そべる人になりたし
春を待つ心静かに二十本の鉛筆の芯をとがらせてゆく

「あとがき」にもあるが、季節の歌が多い。この季節の歌がいいし、独特の比喩にも唸らされる。特に「夕立はそのまま夜の雨となり切れない電話のようなる時間」が好きだ。激しかった夕立が、激しさは無くなったけれども、しとしととそのまま降り続いて夜の雨になったのだろう。その様子を「切れない電話のようなる時間」と喩えたのは秀逸だ。
「晴天の空より一本の糸垂れて引けば墜ちてくるものもあるだろう」なんて星新一っぽい歌もあれば、「温泉が好きになったと言いだしてそれから肥えてゆきにけるかも」というユーモラスな歌もある。基本的には身の回りのことを詠んだ歌が多い。それが読んでいるこちらに親近感を与えるのだろう。新聞の記事に反応した私のアンテナが間違っていなかったことが嬉しい。吉川宏志、五島諭、澤村斉美、永井祐の4氏が文章を寄せた栞が付いていたのも嬉しかった。