棋神(中野英伴写真・大崎善生文)★★★★★ 12/9読了

表紙に続いて冒頭は羽生だ。現在の羽生そして若かりし頃の羽生。様々な表情を見せている。特に印象深いのは、屏風を背にして一人で写っている一葉だ。相手は席を外しているみえ、写真の中には羽生しかいない。大きな窓の外には広い庭が広がっている。羽生は前傾姿勢になってこんこんと読みふけっている。問題が難しければ難しいほど、解くのが楽しいといった風情だ。羽生は全くカメラマンを意識していない。完全に盤上没我の境地に至っている。この写真を見ると、この部屋には羽生以外には誰もいないのではないかという錯覚に陥りそうになる(では誰が写真を撮ったのか?)。それくらいカメラマンの中野英伴は自らの気配を消し去っている。


佐藤、森内とタイトルホルダーが続く。郷田もいるし、森下もいる。スーツで竜王戦に臨んだ島がいる。天を仰いで考えている丸山がいる(棋士はよくこのポーズをとる)。笑みを浮かべている藤井がいる(感想戦でのひとコマか)。もちろん、オールドファンに嬉しい写真もある。若い頃の中原対米長の盤側に升田幸三がいる写真は貴重だろう。頭をかきむしる米長がいる。「棋界の太陽」と呼ばれた頃の中原がいる。「神武以来の天才」加藤一二三のネクタイは相変わらず長い。その加藤を破って史上最年少名人になった谷川がいる。剃髪の森がいる。名人戦で中原をあと一歩まで追いつめた大内がいる。「端然」という表現がピッタリの桐山。老いてなお元気な有吉。眼光鋭き田中(寅)、南、青野。「受ける青春」中村修。昼食休憩中か、誰もいない対局室で指に煙草を挟んで立ち、相手側から盤を見つめる石田。盤の前で迷子の少年のような顔をしている村山聖。相手をにらみつける日浦。般若の形相の佐藤紳哉。深夜にまで及ぶ対局のせいか髭の伸びた先崎。対局室で羽生を待つ渡辺明。そして最後は巨人大山康晴


色を抑えたモノクロ写真だからこそ、棋士の思考が写真からにじみ出てくるようだ。主役はもちろん中野英伴の写真だが、脇へ回った大崎善生の文章も味わい深い。その大崎の文章によれば、勝浦修九段は弟子を励ます時に「中野英伴に撮られるような棋士になれ」と言ったという。「中野英伴に撮られる」ということは、即ちタイトル戦に出場することを意味している。この写真集には巻末にその写真がどの対局のものであるかの詳しいリストがある。それによればここに収められている写真の全てがタイトル戦というわけではない。よって、かなりの若手の写真も収録されている。写真が掲載された棋士はみな嬉しいと思うが、若手棋士は特に嬉しいだろう。


1ページ目から一枚、一枚じっくりと堪能した。全て見終わった後は何やら陶然とした心持ちになった。それから今度は大崎善生の文章を読み、巻末のリストと照らし合わせて往時を偲んだ。この写真集は将棋界にとって、棋士にとって、そしてファンにとって「至宝」と言ってもいい一冊になるだろう。

棋神―中野英伴写真集
棋神―中野英伴写真集大崎 善生

東京新聞出版局 2007-10-24
売り上げランキング : 27559


Amazonで詳しく見る
by G-Tools